ごあいさつ

英照院ホームページをご覧いただきありがとうございます。

英照院は江戸時代の始め1658年に創建された由緒あるお寺です。「縁結びのお姫様」とも呼ばれる新庄藩の宮子姫をおまつりしております。

平成29年に信仰厚い地域の皆さまのお心で再建された本堂は、伝統的仏教文化と現代文化が調和した荘厳な造りであり、お釈迦様の正しいみ教えを根本とした英照院の社会活動は各方面より注目を戴いております。

これまでも、そしてこれからも英照院は地域のみなさまと「ともに喜び、ともに悲しみ、ともに学ぶ」を宗教活動の柱として、変化する社会情勢と向き合い皆さまとともに歩みを進めてまいりたいと考えております。

どうぞ、お気軽にお寺に足をお運びください。より充実した生を全うできるよう、ともに歩んで参りましょう。

英照院 住職 深瀬清光  合掌

住職写真

曹洞宗の宗旨

宗の名前は曹洞宗(そうとうしゅう)といいます。坐禅を修行の中心としていることから禅宗とも呼ばれます。

曹洞宗は日本では鎌倉時代に道元禅師によって開宗されました。

お釈迦様から歴代の祖師に伝え来たった正しいみ教えを信じ、日常の生活に活かしていくことが曹洞宗の教えです。

坐禅をし、坐禅の心をそのまま生活に活かしていく。仏心による生活を日々送ってこそ曹洞宗の信者といえます。

み仏の子である私たちだからこそ、自分自身を深く見つめ、縁あるものを幸せにしていこうという誓願の行為を家庭に職場に社会に実践していきたいものです。

仁王像(吽形像)画 Quibe 2

道元禅師は修行者の実践徳目として四摂法(ししょうぼう)をお示しになりました。

「布施=わがままな欲を捨て自分の持っている力を他のために分け与えること。」

「愛語=心を清め、他を思いやる慈愛の言葉をかけること。」

「利行=見返りを求めず、ひたすら他のためにつくすこと。」

「同時=相手の立場で物事を考え行うこと。」

 

「ともに生き、ともに笑い、ともに悲しみ、ともに歩んでいく」この教えに生きるということが曹洞宗の教義です。

仁王像(阿形像)画 Quibe 2

英照院開山に至る歴史

 

英照院は新庄藩初代藩主戸澤政盛と後室天慶院の娘、

宮古姫を開基として開かれた寺院です。

旧本堂

縁結びのお姫様 英照院の宮古姫

「愛」と「縁」をとりもつお姫様

英照院宮古姫伝説

英照院は新庄藩のお姫様、宮古姫の菩提を弔うため建立されたお寺です。その御霊は境内の寶姫塔において祀られていますが、古来よりお姫様をお参りすると、「幸せになれる」「恋愛が成就する」「良縁に恵まれる」との言い伝えがあり、現在でも若い女性やカップルの参拝者が後をたちません。恋愛成就を願う方、永遠に結ばれることを望む方はぜひ御参り下さい。

宮古姫

寶光山英照院の由来

仏教において「寶(たから)」とは「仏(お釈迦様)、法(お釈迦様の教え)、僧(信仰をともにする仲間)」を意味します。また「英」という文字には「花咲きみだれ、非常にうるわしく、美しいさま」という意味があり、「仏・法・僧、三つの寶の放つ光明が美しい花々を咲かせ、その花がこの世を照らし、美しく麗しい世界が実現しますように。」このような願いのもとに「寶光山 英照院」と命名されたといわれています。

英照院 寺号額 大本山永平寺 宮崎奕保禅師 揮毫

近現代の英照院

平成16年よりは「開かれたお寺」を運営方針とし「写経会」「座禅会」「講演会」などを定期的に開講。平成18年には30年に一度の「観世御菩薩御開帳まつり」を開催、300名を超える参拝者でにぎわいました。また、檀信徒皆が楽しめる企画として、ジャズライブ」「漫才」などのイベントも毎年開催し、時代に即応した賑やかなお寺となっています。

歌う尼さん やなせななライブ3

[寶光山英照院 本堂落慶法要・第33世晋山江湖会] 2017/11/11~12修行

歴代住職紹介

開山 葉山詮奕大和尚

本 師 : 體巌鷲道大和尚(瑞雲院8)

特 記 : 藩内に名の轟く名僧。藩主の菩提寺である瑞雲院へ迎えられ第9世を務める。

師を慕う天巌詮堯は後に英照院を開山した際、葉山詮奕大和尚を勧請し開山とした。

示 寂 : 元和3年(1617年)8月15日

法 嗣 : 徳巌策道(瑞雲院10)

第2世天巌詮尭大和尚

本 師 : 南室馨壽大和尚(瑞雲院11)

特 記 : 英照院2世。

藩を代表する高僧。瑞雲院第12世に迎えられる。

藩主政盛と後室天慶院の娘である宮子姫が逝去した際、天慶院よりその菩提を弔うための寺院建立を懇願され、宮子姫(英照院殿寶光長久大姉)を開基として天英寺(現在の英照院)を建立した。

開山が葉山詮奕大和尚と伝えられているのは開山を実際担当した天巌詮堯大和尚が、瑞雲院9世葉山詮奕大和尚の遺徳を後世に伝えたかった為であろう。

また、師は他にも 真室川長泉寺、秀林寺、昌泉寺の三ヶ寺の開山となっている。

示 寂 : 延宝元年(1673年)12月9日

法 嗣 : 照明映暾(英照院3)・日山文朔(昌泉寺2)

第3世 照明映暾大和尚

本 師 : 天巌詮堯大和尚(英照院2・瑞雲院12・長泉寺・秀林寺・昌泉寺 各開山)

特 記 : 英照院3世

示 寂 : 元禄5年(1692年)8月23日

法 嗣 : 大空盛雲(英照院4)

第4世 大空盛雲大和尚

本 師 : 照明映暾大和尚(英照院3)

特 記 : 英照院4世、瑞雲院17世。

示 寂 : 正徳3年(1713年)12月18日

法 嗣 : 蠱郷毒水(英照院5)・唯道了然(宝円寺6)

第5世 蠱郷毒水大和尚

本 師 : 大空盛雲大和尚(英照院4・瑞雲院17)

特 記 : 英照院5世。正徳2年(1712年)11月に、故あって「天英寺」の寺号を「英照院」に改称し、宮子姫の戒名も「寶光院殿天英長久大姉」から「英照院殿寶光長久大姉」へ改めたとされるが、師が住持の頃であろうか?

示 寂 : 享保3年(1718年)10月2日

法 嗣 : 龍峰榮天(瑞雲院18)

第6世 逸堂良英大和尚

特 記 : 英照院6世、瑞雲院19世

示 寂 : 享保20年(1735年)4月2日示寂

第7世 銅頭銕觜大和尚

特 記 : 英照院7世

示 寂 : 明和5年(1768年)7月27日

第8世 棟泉祖梁大和尚

特 記 : 英照院8世、瑞雲院20世

示 寂 : 延享2年(1745年)10月15日

第9世 天麟厳長大和尚

本 師 : 不徹別聞大和尚(向陽寺7)

特 記 : 英照院9世、瑞雲院21世、見性寺13

示 寂 : 明和5年(1768年)7月21日

法 嗣 : 明洲光暾(松林寺5)戒山大凉(向陽寺8)即如全経(秀林寺4)

寶山厳鼎(秀林寺5)

第10世 大秋良悟大和尚

特 記 : 英照院10世

第11世 丹嶺義鳳大和尚

特 記 : 英照院11世、瑞雲院23世

示 寂 : 安永2年(1773年)10月9日

第12世 月心嶺谷大和尚

特 記 : 英照院12世

示 寂 : 安永5年(1776年)5月25日

 

第13世 佛観義性大和尚

本 師 : 心庵祖傳大和尚(福田院6)

特 記 : 英照院13世、瑞雲院24世

示 寂 : 寛政6年(1794年)9月28日

法 嗣 : 為雲兼龍(清龍寺10)

第14世 俊嶺義秀大和尚

本 師 : 丹嶺義鳳大和尚(瑞雲院23)

特 記 : 英照院14世、瑞雲院25世、正源寺16

示 寂 : 文化14年(1817年)7月1日

法 嗣 : 鳳山實道(正源寺17)

第15世 瑞天宗本大和尚

特 記 : 英照院15世

示 寂 : 文化14年(1817年)6月21日

第16世 鳳仙萬貞大和尚

特 記 : 英照院16世、瑞雲院31世

現在の「三界萬霊塔(永代供養塔)」は師の代で建立したもので、篆刻された書体

も素晴らしい。

示 寂 : 嘉永元年(1848年)1月18日

第17世 黙應有道大和尚

本 師 : 大忍即明大和尚

特 記 : 英照院17世、瑞雲院32世

示 寂 : 安政3年(1856)5月18日

法 嗣 : 應物祖明(瑞雲院37)

第18世 祖山秀道大和尚

本 師 : 圓山秀寶大和尚(宝円寺14)

特 記 : 英照院18世、瑞雲院33世、会林寺21世、宝円寺15世

師の詳細は不明であるが、藩内の名刹、大寺院の住持を歴任されていることを見て

も、藩内随一の高僧であることは想像に難くない。

示 寂 : 嘉永2年(1849年)3月16日

法 嗣 : 旭山秀光(清林寺26・長泉寺14)

第19世 獅峰卍活大和尚

特 記 : 英照院19世、瑞雲院34世、会林寺22世、興源寺、福昌寺

先代 祖山秀道大和尚に同じくその詳細は不明であるが、藩内の名刹、大寺院の  住持を歴任されていることを見ても、藩内随一の高僧であったと思われる。

示 寂 : 慶應3年(1867年)2月7日

第20世 天外台童大和尚

特 記 : 英照院20世

示 寂 : 嘉永2年(1849年)11月28日

第21世 無為佛身大和尚

本 師 : 別外不傳大和尚(清龍寺11)

特 記 : 英照院21世

示 寂 : 安政6年(1859年)1月21日

法 嗣 : 大應佛顕(雲徳寺15・多福院22)

第22世 天巌祖喬大和尚

特 記 : 英照院22世、瑞雲院35世、西来院

示 寂 : 明治7年(1874年)5月31日

第23世 学海智燈大和尚

本 師 : 壽山泰鳳大和尚(瑞雲院29)

特 記 : 英照院23世、宝円寺17世。

諸資料によると明治初年(1867年)隣寺である黄檗宗寺院海巌山福昌寺は明治維新の混乱により損傷著しく廃寺、英照院と合併せりしとあり。以降福昌寺開基である2代藩主正誠の娘 久子姫(海巌院殿月泉清流大姉)をもお守護する事となる。おそらく師代の事柄であろう。

示 寂 : 明治2年(1869)1月26日示寂

法 嗣 : 学林文道(清林寺27・薬師寺18)鳳嶽素海(巌松院21)

第24世 梅嶺瑞遷大和尚

本 師 : 大仙嶺芳大和尚(長泉寺16・清龍寺21・宿用院36)

俗 姓 : 尾張國人

嗣 法 : 村山市向川寺35世梅峰義宗に嗣ぎ、天保12年、東根市禅会寺初住27世となり

弘化元年3月、最上町見性寺に転じ19世、明治2年新庄市英照院に転住24世となる。

特 記 : 師は書を能くし、当時 藩内にその名声は轟く。

示 寂 : 明治8年10月15日 寿67歳

法 嗣 : 圓山瑞明(雲徳寺17)

第25世 鳳岳文丈大和尚

本 師 : 應物祖明大和尚(瑞雲院37)

特 記 : 英照院25世、後に瑞雲院に転住38世

示 寂 : 明治31年11月26日

法 嗣 : 道学素隆(長林寺22)鉄應良漢(瑞雲院39・寶積寺25)

覚心海印(太覚院16)

第26世 壽山梅天大和尚

本 師 : 實宗道契大和尚(現福寺11)

特 記 : 俗性 白澤氏。英照院26世、達磨寺17世。

示 寂 : 不詳

法 嗣 : 鉄山大仙(達磨寺18)泰山豊眠(洞松寺31)

第27世 雲領義順大和尚

特 記 : 英照院27世

示 寂 : 不詳

第28世 高岩桂堂大和尚

本 師 : 玉山桂應大和尚(会林寺25・林昌院22・林昌寺・龍泉院24)

誕 辰 : 明治3年7月5日

俗 姓 : 梅津 氏、舟形町 福昌寺29世 義照和尚 次男。

特 記 : 会林寺25世 玉山桂應大和尚に嗣ぎ、明治30年4月、新庄市英照院へ初住。

明治32年9月、師 退董の跡を受け、会林寺26世に転住。

爾来40年、世の毀誉褒貶に関せず、営々として寺門の経営、夙に禅僧の面目躍如

たるものあり。

示 寂 : 昭和13年8月13日

法 嗣 : 高雲泰堂(静岡 千光35)・大忍勇禅(会林寺27・福泉26)

第29世 癡雲碩翁大和尚

本 師 : 大仙嶺芳大和尚(長泉寺16・清龍寺21・宿用院36)

誕 辰 : 明治8年4月12日

俗 姓 : 市川 氏、東置賜郡沖郷村、桂次 次男。

特 記 : 明治30年9月1日、真室川町 大沢 長泉寺16世 大仙嶺芳和尚に嗣ぎ、仝32

年10月12日 新庄町 太田 英照院29世初住。大正11年10月、師跡を董し 谷地町 宿用院 に転住、37世。

曹洞宗大学を卒業後、大本山永平寺にて幾多の修行を積み、本山布教師を拝命。  岩手県下を巡教し、又、函館 高龍寺常住布教師として多年教線を張られたり。その性格は、   清廉潔白にして博愛の精神に富み、まさに化仏のような人であったと伝えられる。

示 寂 : 昭和13年1月30日 寿64歳

法 嗣 : 圓山清成(英照院29)

第30世 圓山清成 大和尚

本 師 : 癡雲碩翁 大和尚(英照院29・宿用院37)

誕 辰 : 明治38年10月5日

俗 姓 : 市川 氏、新庄市十日町太田 英照院にて出生

英照院29世 碩翁和尚の長男。

特 記 : 昭和11年11月8日 碩翁和尚の室に入り嗣法。

仝12年4月20日 新庄市 英照院30世。

駒澤大学 東洋科を出て、昭和9年 山形県立鶴岡高等女学校教諭を拝命。教鞭を  とる傍ら英照院の檀務に尽くした。しかし、同年8月 結核性の脚の病により鶴岡高等女学校を退職。思うように動かせない体に鞭打ち、英照院の檀務を勤める。

示 寂 : 昭和30年1月24日 寿51歳

法 嗣 : 大圓清矩(宿用院38、定林寺33)

 

兼務住職 大圓清矩大和尚

本 師 : 圓山清成 大和尚(英照院30)

誕 辰 : 大正2年3月10日

俗 姓 : 市川 氏、新庄市十日町太田 英照院にて出生

英照院29世 碩翁和尚の三男。

嗣 法 : 昭和5年4月8日 英照院29世 碩翁和尚 について得度。

昭和13年 英照院30世 清成和尚(実兄)初会にて立身。

同年8月30日 清成和尚の室に入り嗣法。

同年9月23日 河北町谷地 宿用院38世初住。

昭和31年 清成和尚の遷化を受け、英照院住職を兼務。

昭和37年 英照院住職を浩志和尚(実弟)に譲り、退董。

昭和39年5月19日 定林寺へ転住。(33世拝命)

 

特 記 :  学生時代は柔道に励み、「駒沢の虎」の異名をとった。学生選手権大会では、時の日本一の実力者 木村政彦5段と決勝で争い、敗れはしたものの 2度の延長戦を戦うなど、その実力は誰もが認めるところであり、後年 日本講道館柔道7段まで昇段した。

大学卒業後は大本山永平寺僧堂研究科に入校、約1年の坐禅修行に打ち込む。 昭和18年 県立寒河江中学校教授に委嘱され教鞭をとるも、終戦後の目まぐるしい変動の社会情勢にあって、その混乱を収拾すべく、仝21年教職を退き政界に 進出。谷地町議会議員を経て、翌22年 谷地町長に当選。以後7期28年の長きに渡り町政を担う。卓越した識見と行政手腕をもって、河北町の礎を築くと共に地方自治の確立と発展に尽力した。その功績は枚挙に暇が無い。

また、宗門においても、昭和28年 曹洞宗宗議会議員に当選。参与した大本山永平寺吉祥閣建設、曹洞宗檀信徒会館建設、太祖大師650回大遠忌などの大事業を完遂する。また、仝50年には 宗門行政の要ともいうべき宗議会議長の職に  就任。大教師 補任、赤紫恩衣 が許可される。任期満了の後、宗門行政の功績により仝53年 大本山永平寺顧問となる。

仝57年 遷化を受け、曹洞宗管長より宗門行政への功績を讃えられ、「永平西堂」の称号が授与される。また、内閣府より永年の地方自治功労が認められ、「従五位 勲四等 旭日小綬章」を授与された。また、28年もの長きに渡り町長を勤め、町の発展に寄与した功績が認められ、河北町名誉町民章が贈与された。

 

要職・表彰・功績 等 枚挙に暇なく、詳しくは河北町図書館蔵「市川清矩の生涯」を参照のこと。

示 寂 : 昭和57年12月26日 寿70歳

法 嗣 : 頌雲浩志(英照院31)・圓融謙三(英照院32、定林寺34)

智光興全(松林寺)

第31世 頌雲浩志 大和尚

本 師 : 大圓清矩 大和尚(定林寺33・宿用院38)

誕 辰 : 大正7年3月27日

俗 姓 : 市川 氏、新庄市十日町太田 英照院にて出生。

英照院29世 碩翁和尚の五男。

嗣 法 : 昭和35年3月1日 宿用院38世 清矩和尚(実兄) について得度。

昭和36年 宿用院 清矩和尚 再会にて立身。

昭和37年1月20日 清矩和尚の室に入り嗣法。

同年4月10日 新庄市十日町太田 英照院31世初住。

昭和47年6月10日 英照院住職退董。

仝寺立塔。

特 記 : 30世圓山清成大和尚(実兄)が病に伏したため出家。新庄北高等学校・新庄南高等学校にて 物理の教師として教鞭をとる傍ら、31世として住持を務める。

示 寂 : 平成4年4月21日 寿75歳

法 嗣 : 無し

第32世 圓融謙三 大和尚

本 師 : 大圓清矩 大和尚(定林寺33・宿用院38)

誕 辰 : 昭和19年11月30日

俗 姓 : 深瀬 氏、溝延村 南泉寺にて出生。

南泉寺20世 宏覚和尚の三男。

嗣 法 : 昭和44年3月4日 清矩和尚(当時 定林寺住持)の室に入り嗣法。

昭和47年6月10日 新庄市 英照院31世浩志和尚の退董後、32世襲名。

昭和59年5月28日 師の遷化を受け 河北町 定林寺へ転住。34世となる。

特 記 : 昭和37年10月30日 南泉寺20世 宏覚和尚(実父) について得度。

駒沢大学時代は、明朗で実直な人柄から同級生の信頼を集め、大学祭財務局長、学友会事務局長を歴任。また、文武両道を是とし空手部に所属。各大会にて活躍した。その実力が認められ松濤館空手3段に昇段する。

昭和42年3月 駒澤大学文学部英米文学科を卒業。同年4月より神奈川県向上 高校の教師として教鞭をとるも、母の逝去を縁に発心。教職を退き、翌43年より大本山永平寺に安居。同年 清矩和尚(当時 宿用院住持)再会にて立身、第一座を勤める。仝44年 清矩和尚(当時 定林寺住持)の室に入り嗣法。

昭和47年 新庄市 英照院32世初住。同時に青年僧侶のさらなる資質の向上と大衆への布教・教化を目的に最上地区青年会を設立。初代支部長となり研修会や布教教化事業を展開する。その後、山形曹洞宗青年会会長に推挙され第4代会長に就任。

昭和59年 師の遷化を受け 河北町 定林寺へ転住。34世となる。

仝14年には高祖大師750回大遠忌の焼香師に推挙され、永平寺に拝登。一片の香を焚き、報恩の誠を捧げた。

法 嗣 : 寶圓清光